【はんぶんこ】下
…相手への思いやりをうながすことば
「はんぶんこ」は取られること?
あるお母さんから、自閉的なわが子は「はんぶんこ」=自分の物を取られることと思っている、との話しがありました。だから子どもは、「はんぶんこ」というと嫌がるそうです。子どもの内面での葛藤が見えるようなお話しでした。
子どもは、本心ではあげたくないのでしょう。けれども群れを作り暮らす人間にとり、「あげる・貰う」の関係は必須のことです。「あげる・貰う」がなければ、人間は互いに助け合うことができず、当然ですが社会は成立しません。助け合いのスタートラインに立つことが、「はんぶんこ」の理解であり、表現なのでしょう。「はんぶんこ」ができるためには、社会性の成長が必要です。
ただ子どもにすれば自分の物をあげるのは、「半分OK」「半分いや」の状態なのだと思われます。そういう心理が、「あげる」ことが誇らしくなるまで続くのでしょう。実際に「はんぶんこ」の次に「あげる・貰う」ということばが出てきます。
(次回以降に、「あげる・貰う」の関わりことばを取り上げます)
「はんぶんこ」は慈悲の心の出発点
大人でも、たとえば相続のときなどに「はんぶんこ」が頭ではわかっていても、心中に葛藤を抱えたりします。人間の煩悩といえます。子どもの葛藤は当然のことと理解し、「はんぶんこ、できた、えらいね」といって、子どもの決断を後押しする役目が、大人にはあります。この二歳前後に起こる「はんぶんこ」の理解こそ、あるいは慈悲の心の出発点なのかもしれません。
二語文と社会性
たとえば、以下のような二語文を子どもは使います。
○電車 きたね
○おせんべい たべた
○りんご おいしいね
○これ なに?
○これで いい?
これらは叙述、報告、共感、質問、確認という文です。これらの文には「他者の存在」が明確です。つまりは、相手への意識があって初めて生まれる文が、二語文といえます。
話はずれますが、ある知能テストに「おおきいくま」「あかいりんご」と二語文を復唱させる問題があります。読みながら違和感があります。子どもは、こういういい方はしないからです。「くま、大きいね」「りんご、あかーい」といったいい方が、子どもと大人の会話では当たり前です。
これらの二語文ですが、「おおきいくまがいます」「あかいりんごをたべました」ならば不自然ではありません。つまりは三語文で構成される説明文をカットした文であり、他者との会話で使う文ではありません。
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